【合掌】
あっという間の3年間・・・
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しかし、毎日生活していると随分昔のような3年前
会社勤めを終わろうとしていた2011年
沢山のことが有り過ぎた年だったと
きっと日本ではテレビで色々な特集が組まれると思います
今日は、震災直後の自分の記事を読み返していました
街のスーパーから物資が消えた日
水道水が飲めなくなった報道・・・
毎日のように緊急地震速報が発令されていた東京
いろんな事を思い出します
(↑クリックすると其のブログに飛びます)
一部抜粋
そして一歩二歩歩くごとに赤い旗がヒラヒラ揺らいでいる。
しかも数えきれないおびただしい数の旗。
「この赤い旗は遺体が見つかった場所に立てられています」
正直つらかったです。
ある旗の前に佇んでいるお婆さん。
私のお婆さんと同じくらいの年だったかな?
「東京の看護婦さん、
ここにおじいちゃんが戦後一生懸命働いて建てたおうちがあったんだよ、
おじいちゃん病気ひとつしなかったのに死んじゃったよ」
人間の感情があるから泣くなと言われても無理でした。
リーダーナースが飛んで来て私の耳を引っ張って車の陰に連れて行かれて
すっごくおこられました。怒られようがもう自分は素直な感情でここでやっていこうと思いました。
テレビで映されているのは報道規制のなかの範囲内でそれでもあの映像。
映されない、テレビで流せない現状をこの目で見てきましたがそれはもう地獄でした。
案内されている隣で
自衛隊の方が瓦礫や木材をどかすと泥だらけになった遺体が必ず出てきて。
この光景は一生忘れないし
忘れてはいけないと思う。
瓦礫や木材と言っても数日前は誰かの生活の一部だった家や道具や誰かの宝物です。
その下から続々見つかる遺体。
そのたびに手を合わせる自衛隊の方々。そして偶然居合わせてしまった私たちも合掌しました。
しかも数えきれないおびただしい数の旗。
「この赤い旗は遺体が見つかった場所に立てられています」
正直つらかったです。
ある旗の前に佇んでいるお婆さん。
私のお婆さんと同じくらいの年だったかな?
「東京の看護婦さん、
ここにおじいちゃんが戦後一生懸命働いて建てたおうちがあったんだよ、
おじいちゃん病気ひとつしなかったのに死んじゃったよ」
人間の感情があるから泣くなと言われても無理でした。
リーダーナースが飛んで来て私の耳を引っ張って車の陰に連れて行かれて
すっごくおこられました。怒られようがもう自分は素直な感情でここでやっていこうと思いました。
テレビで映されているのは報道規制のなかの範囲内でそれでもあの映像。
映されない、テレビで流せない現状をこの目で見てきましたがそれはもう地獄でした。
案内されている隣で
自衛隊の方が瓦礫や木材をどかすと泥だらけになった遺体が必ず出てきて。
この光景は一生忘れないし
忘れてはいけないと思う。
瓦礫や木材と言っても数日前は誰かの生活の一部だった家や道具や誰かの宝物です。
その下から続々見つかる遺体。
そのたびに手を合わせる自衛隊の方々。そして偶然居合わせてしまった私たちも合掌しました。
今日、其のブログを改めて読んでいました
あの日、起きたことを忘れません
あの日、無念にもなくなった方々を想い、謹んで哀悼の意を表します